ITSME

ちょいユル オヤジ

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

祭り考

昨年から加わった新たな趣味と言えば、曳山祭り巡りである。巡りというほど沢山回っていないし、今後もどれほど時間が割けるか分からないのだが、先日友人と呑んでいる時面白い示唆を戴いた。単に私の知識が浅いだけのことなのだが。。。


曰く、祭りはその始まりの頃、発展の頃、そして持続している時、それぞれに「それなり」に民の暮らしが豊かでなくてはなからなかった筈である。即ち起源が江戸時代とするならば、例えば外様大名の領地では年貢などの取り立てが厳しく民の懐はいつもすっからかん。。従って、「思い」はあってもハレの時にすら捻出する金品も、気力もない、すなわち豪華絢爛、勇壮な祭りは出来(しゅったい)しないということだ。


翻ってみると、昨年訪れた唐津。江戸時代は言わば天領の様なものだったようである。唐津藩の藩主は出世街道に乗っているポジションであり、故に藩政を誰もがしくじりたくはなく、一揆が起こる等もっての外なので重税など課したりしないわけだ。私の故郷浜松も同様だ。だんじりの岸和田はどうだろう。この辺りはその佐賀に縁のある友人の受け売りだが、同じ佐賀県でも佐賀市のある旧鍋島藩は外様である。従って、祭りというと「熱気球祭り」位しかない。これまたこれ以上無いといった位年若い祭りである。そもそもこれを祭りと呼んでいいものか。

呑みながら、そぉ言えば、鹿児島や山口にも「これ」と言った祭りはないなぁ。京都はあるなぁ、大阪はないか。。なんて話していた。勿論例外はある、浜松同等若しくはそれ以上の扱いだった筈の静岡市にはこれといった祭りはなく。何故か、徳川御三家のお膝元にもぱっとした祭りは無いのだ。

倒幕、明治維新はこうした圧政を受けたところから燃え上がり、満たされた生活をして祭りを楽しんでいた地域は必然的に佐幕派となって明治時代には冷や飯を食うこととなる。民俗学は歴史学とも通じるのだなぁ。

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

*Trackback

トラックバックURL
http://izmy.blog6.fc2.com/tb.php/997-fbeb235f

左サイドMenu

profile

izmy

  • Author:izmy
  • banner2s.jpg
    コメント戴けると励みになります!?

calendar

recent entries

pull-down list

amazon

ブログ村

にほんブログ村 写真ブログへにほんブログ村 サッカーブログ ジュビロ磐田へ

access counter

map

Twitter on FC2

右サイドメニュー

search in this blog

caccia follows your mouse and

PopUp WikipediaⅡ enabled

Wikipedia

kinopono


archive by month

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。